hohi’s blog

初期仏教の勉強・実践とパーリ語の学習

慢との付き合い方 — なかなか消えない高慢・卑下慢・同等慢 〜スマナサーラ長老法話メモ(2011年7月23日 オリンピック記念青少年総合センター)

〜なかなか消えない高慢・卑下慢・同等慢〜

 「慢」— 言葉の意味  

  • パーリ語でmāna
  • ∼ 「測る・計る・量る」√ manの語幹から「常に測ってみる性格」を表す単語でしょう
  • 考える mañāatiの語幹も√ man: → 妄想する・思い込むという意味で慢かも知れない
    • しかし、māneti(manのcaus.)という動詞の意味は「慢を張る」ではなくて「尊敬する」
  • 測るの動詞はmināti
  • 間違いを犯した出家・見習い出家の戒めの行はmānatta (see Buddhist Monastic Code II Chapter 19 Penance & Probation by Thanissaro Bhikkhu )

 何を測る?  

  • 米を計ったりなど必要な秤もある
  • 慢というのは自分を測ること: 天秤に使う分銅は「人・他人」なのです。
  • 自分のエゴ・存在感を他人と比較して測ってみる
  • 分銅になる他人によって自分の方が「1: 重い、2: 等しい、3: 軽い」という値しか出ないが、その値も一定とならない

 何故、測るのか?  

  • 人には「自我・エゴの意識」はあるが、自信がなくて不安
  • 他人と比較して測ることで『自我を確立』したいのです
  • しかし、測れば測るほど「自我の値」が変わるので自我の確立のつもりが限りのない自我不安という結果になってしまう

 自我の値とは?  

  • 自分にどの程度の価値があるのか知りたい、そうしないと不安でたまらない
  • "value of self" (自分としての価値)を知るために測る
  • これが慢ということ
  • 「自我の値」とでもいいましょうか
  • 人間は何にでも価値をつけたくなる
  • 価値が分かれば対応の仕方も決める
  • それで「執着の強度」を決める
    • 測る→価値を入れる→執着の強度を決める
  • その中でも究極の価値を「自分・自我」に付けたい・付けている

 自我の値にも分類はありますか?  

  • あります:(仏教は何でも分析・分類しますからね)
  • 人間の価値観はデジタルではない
  • まず、重い・等しい・軽い、という三種類
  • 高慢・同等慢・卑下慢
  • atimāna, sadisa māna, hīna māna
  • 思っていたより重い・等しい・軽いという結果になるが、この3つの値は常に変動する。

 慢は3つだけですか?  

  • 実は一つですが、見方によって種類がある
    1. セット1
      1. 自分は他人より優れている
      2. 自分は他人と等しい
      3. 自分は他人より劣っている
    2. セット2
      1. 自分より優れている人より自分はより優れている
      2. 自分より優れている人と自分は等しい
      3. 自分より優れている人より自分は劣っている
    3. セット3
      1. 自分と等しい人より自分はより優れている
      2. 自分と等しい人と自分は等しい
      3. 自分と等しい人より自分は劣っている
    4. セット4
      1. 自分より劣っている人より自分はより優れている
      2. 自分より劣っている人より自分は等しい
      3. 自分より劣っている人より自分は劣っている

 出典はありますか?  

  • Abhidhammapiṭake Vibhaṅgappakaraṇaṃ (PTS Page 389)
  • Tattha katame navavidhā mānā: seyyassa seyyohamasmīti māno, seyyassa sadiso hamasmīti māno, seyyassa hīno hamasmīti māno, sadisassa seyyo hamasmītimāno, sadisassa sadiso hamasmīti māno, sadisassa hīno hamasmīti māno, hīnassa seyyo hamasmīti māno, hīnassa sadiso hamasmīti māno, hīnassa hīno hamasmīti māno. Ime navavidhā mānā.

 九慢の生起の具板的な例  

  • 私はアビダンマの九慢を十二慢にしました
  • セット1: 凡夫にある普通の慢
  • セット2-4までを理解するには、「思っていたのに」を加えてみてください
    • 例: 『あの人より出来る/優れている/偉いと思っていたのに、実は劣っている』
    • 『あの人は自分より劣っている』と普通思っているのは高慢

 測ることは断言的に悪いのですか?  

  • それは条件によります
  • 理性に基づいて自分を向上させるために自分と他人を比較して測ることは構わない
  • 自我の錯覚を肯定する測りは良くない
  • 測ることで悪感情が起こる/自分の能力が衰えるならば悪
  • 解脱を目指す人には障碍になる束縛(10あるsaṃyojana(十結)の9番目: 9番目というのは相当消えにくい: ←8番目の勘違いでしょうか)
    • saṃyojana: 'fetters': (BUDDHIST DICTIONARY by NYANATILOKA MAHATHERA)
      1. 有身見 personality-belief (sakkāya-diṭṭhi)
      2. 疑 sceptical doubt (vicikicchā)
      3. 戒禁取clinging to mere rules and ritual (sīlabbata-parāmāsa; s. upādāna)
      4. 欲貪 sensuous craving (kāma-rāga, 4.v.)
      5. 瞋恚 ill-will (byāpāda)
      6. 色貪 craving for fine-material existence (rūpa-rāga)
      7. 無色貪 craving for immaterial existence (arūpa-rāga)
      8. 慢 conceit (māna)
      9. 掉挙 restlessness (uddhacca)
      10. 無明 ignorance (avijjā)

 慢が起こる順番  

  • 順番はない
  • その時の感情・妄想・体調・環境などによって9種類の慢の中の一つが起こる
    • 例えば落ち込んでいる時は卑下慢とか、気分爽快の時高慢のグループ、など
  • 心には「慣れるクセ」があるので、起こる慢のパターンが出来て性格になることはあります

 慢のクセがある/なしの違い  

  • 悲観主義者・被害妄想・傲慢な人・頑固者などの表現でも分かるように、慢のクセが出来て発見しやすい (慢の性格がバレてしまうと皆その人を捨てる、慢は他人にバレないようにするしかない)
  • 精神病に陥りやすいし、治し難い
  • クセになっていない場合は慢はその都度変わる
  • 治る訳はないが、気を付ければ良い: 優柔不断でよい

 慢とは自分のidentetiyではないでしょうか?  

  • 生きている限り皆「自我意識・自分がいるという実感」はある
  • identityとは自分と他人とを区別すること
  • 当然、生命は個なので self awareness がある
  • それに価値をつけることで「クセもの」の「慢」に変わってしまう
  • 価値感がないと凡夫は生きていられない

 では「慢は本能・不可欠」という意味ですか?  

  • 輪廻転生する生命には慢は本能で不可欠
  • たとえ覚っても阿羅漢果になるまで消えないのもそのため
  • 完全に覚りに達するまで生命には慢の銷を外すことはできない
  • しかし、慢は様々なトラブルを起こす原因になる煩悩

 慢の悪性とは?  

  • 「我儘・自我を張ること・頑固」は悪いと常識になっている
  • 『常識だから悪』ではない
  • 人は誰でもエゴ・我儘・自我を張ることの悪果を経験している
  • 自我あるいは慢が悪性になると客観性がなくなって自分のことしか見えなくなる (自我 イコール 慢)
  • それで何をやっても悪い結果になる

 多岐に渡る慢の元は何でしょうか?  

  • 大元は無明
  • まず、人に自我意識がある(認識の結果から起こる錯覚)
  • 生命は自分自身のことを何よりも好むので自分に価値をつける
  • 自分の命に普通究極の価値をつけるので自我意識は慢に化けるし、それが高慢なのです (元は高慢)
  • 高慢があるから卑下慢も生まれる

 何故、多岐に渡るのでしょうか?  

  • 生きてみると、自我中心的な高慢が現実と合わないことに気付く
  • その時、慢を捨てれば良いのに、無明なので失敗する
    • 現実に合わせて高慢を「高慢・同等慢・卑下慢」に変える
  • 元は「我こそ偉い」と思う根拠の無い愚かさです

 慢に強弱はありますか?  

  • 当然あります: 慢が薄い人・厚い人もいる
  • 日常で薄くなったり厚くなったりする
  • 慢は
    1. 潜在的になる
    2. 普通に現れる(気づかない)
    3. 強くなる(気付く可能性がある)
    4. 異常になる(他人に分かる; 本人には無理)
    5. 度を超す(罪を犯す; 気づかない)

 慢が人生に与える影響は?  

  • 慢は無知(無明)の子で仲良しのペア
  • 欲と慢という心所は同時に生まれる
  • まず、欲と絡んで自我中心的な人間になる
  • 次に慢は無知を強化する(→どんどん人はバカになる)
  • 無知は全ての悪心所と同時に生まれる
  • 無知が強ければ悪心所が力を発揮する
  • 慢は直接何もしない
  • 無知を強化するから、欲・怒り・嫉妬などの心所が影響を受けて結果を出す。身口意の行為を起こす
  • とても危険なのは理性を失うこと: 感情の奴隷になっていまう
  • (例えば) immune system (免疫機能)が壊れたとしましょう:
    • それだけでは何の問題もない
    • しかし、外の空気を吸っただけで細菌に感染して死ぬかも知れない
    • どんな細菌もその身体を殺すことが出来る
  • 慢は悪に対する心の抵抗力を無くしてしまう
  • 生命が自殺することはあり得ないこと。しかし慢が度を越すと何の躊躇もなく自殺を図る (自殺は怒り)
  • 慢によって理性を失う(= 無知の強化 =ありのままに物事を観察できない)
  • それから間接的に全ての能力が低下する・意欲を失う・欝になる
  • 感情は嵐のようにはたらく
  • 理性が無いとは柔軟性がないこと・頑固であること
  • 慢が度を越すと、ブッダにも治療不可能になる

 慢が本能でidentityであるなら、どうすればよいのでしょうか?  

  • 成人病など治らない病気に罹ったらどうする?
  • 巧みに付き合う
  • 解脱に到達するまで慢と巧みに付き合う
  • 慢を逆手に取る

 慢と付き合う方法  

  • 慢があっても理性を保つ
  • 理性を失ったら自分が惨めになると恥をかく、みっともない、格好悪いと思うようになったら、それも慢ですが自分を支えてくれる
  • 善悪の区別を明確にして自分のプライドをバネにして善を行う
  • 誘惑される時、自分の慢で自分を守る
  • 道徳的・理性的・智慧がある勝れた人を見て比較して自分は劣っていると気付く(卑下慢)→ その人に等しくなる努力をする
  • 無知な人・道徳感の無い人を見て比較する→このようには絶対になりたくないと努力する(高慢)
  • 善人の仲間になっているなら、そこから堕ちないように努力する(同等慢)

 慢との付き合い方  

  • 自分の慢の焦点を善にあわせれば慢が自分を育ててくれる
  • 自己破壊するところまで陥れる慢を巧みに使用すれば、解脱に達するまで応援してくれる衝動になる
  • 慢をもって慢を制する
    • 仏教では『怒りをもって怒りを制する』とは言わない

 経典から  

  • アーナンダ尊者がある比丘尼に語る:
  • Mānasambhūto ayaṃ, bhagini, kāyo mānaṃ nissāya. Māno pahātabbo.

    妹よ、この身体は慢によって構成されています。その慢をよりどころにして慢を無くすのです。

    (Aṅguttaranikāya Catukkanipātapāḷi : Catutthapaṇṇāsaka: Indriyavagga Bhikkhunīsutta )

  • その意味は何でしょう?
  • 「あなたにこのように情報が入ります:"ある比丘は精進努力して一切の煩悩を絶って、心解脱、慧解脱に達してこの世で一切の苦しみを乗り越えているのだ"と。そう聞いたなら」
  • kimaṅgaṃ panāhan’ti

    (Why not me?)

  • そのように思いなさい。あと、その人は慢を依り所にして慢を断つのです。
  • お釈迦様もĀlāra KālāmaUddaka Rāmaputtaの両仙人のところで似たような考えを起こして初めて高度な禅定に達したと記してある
  • 慢を叩くとゴールに達するまでめげない人間になってしまう

 解脱と慢の敵対関係  

  • 煩悩:十結:
  • 阿羅漢果で上分結が無くなる: 阿羅漢になるまで残る慢は上級レベルの無知
  • 渇愛・慢・無明は存在を築く根本的な働き
  • 預流果になっている方には、自我・エゴ・魂という気持ちは全くない
  • しかし自分がいるという実感がある。これを慢という
  • さらに修行しなければならないと知っている
  • 悪を犯す、俗世間に帰る煩悩はないのでのんびり落ち着いている可能性はある
  • 不還果は確実に梵天に生まれるので死を気にしない
  • 上分結の力は聖者を梵天に転生させる程度です。悪さはしません。

 結論  

  • 慢は存在感そのものなので、簡単には断てません
  • 他の煩悩と組み合わさると慢は危険
  • 慢は氾濫しないように制御する
  • 巧みに使えば役に立つ
  • 無常・苦・無我に納得しているならば、常に慈悲の実践、気づきがあれば慢は問題を起こさない

メモを元にしているので、不正確な部分があります。今回は終盤のスライドはかなり早く流しておられてメモが出来ていません。(必ずしも長老がお示しになったパワーポイント の内容通りではありません。)


初出: Sun August 14 2011 22:49 (+0900)