hohi’s blog

初期仏教の勉強・実践とパーリ語の学習

ブッダの勝負に「敗者」は要らない — 「幸福の零和」を覆す生き方 〜スマナサーラ長老法話メモ(2010年3月20日 オリンピック記念青少年総合センター)

(イントロダクション)

勘違いの幸福論

  • 人生は戦い(競争): 何かを得るには、努力・精進・がんばらないと何にも達しない
  • 座って待っているのはありえない
  • 逆も同じ: 何もしないのも苦しい
  • 勝負には勝者・敗者がいるが、これが問題
  • 仏教的な中道の立場で眺めてみる
  • 金・財産・名誉・権力・社会的立場があること
  • 自分と家族に対することが希望通り・計画通りに進むこと
  • 自分の好み通りに生きられること
  • 幸福は人の定義によって違うので最初からも幸福とは何かを理解していない

手段が目的になっている

  • こちら側に不幸の原因がある
  • 金・財産は幸福になるための手段・道具
  • 道具の使い方によって良い結果になったり、悪い結果になったりする
  • 道を限りなく集める
  • しかし、使い方を学ばない
    例)
    • お金の正しい使い方
    • 財産の正しい使い方
    • 知識の正しい使い方
  • ですから、俗世間の幸福論は苦しみ・不幸を起こす道なのです

奪い合う

  • 道具が幸福だとしているので、その道具を獲得しなくてはならない
  • 他の人も同じものを欲しがります
  • しかし資源にはリミットがあります
  • それでは「我先に」と奪い合わなければならない
  • 結局、幸福に至る道は奪い合い合戦になる

(幸福の落とし穴) 敗者の増加

  • 取られる・奪われる側が敗者です
  • 「幸福になろう」と頑張ると敗者が増える
  • 敗者は貧困になる・不幸になる
  • 例) 男子三人が一人の女子に恋に陥ったら結果はどうなるでしょう
  • 勝者はさらに勝利を得る、敗者はさらに敗北する傾向もある
  • これは、敗者は精神的にも負けるからです

(幸福の落とし穴) 勝者は儚い

  • 財産・権力・能力・家族・健康など、幸福だと思うものは全て消え去る・逃げる
  • 幸福を守る・維持管理するという新たな問題が起こる→ これも苦しい
  • 勝者でも、これに失敗すると、敗者の仲間になります
  • 勝利を得る度に、それを守る苦しみが増えていきます

不幸に陥る俗世間の勝利者

勝利者についてくる様々な危険〜

世間の敵になる

  • 自分がライバルとだと思う相手が敵だとする
  • 成功しようと思うと必ず敵意を抱きます
  • やがて世間に対して敵視するようになったり、誰も信頼出来なくなったりする
  • 敗者の怒り・憎しみを買うことになる
  • 一般的に世間の怒り・嫉妬・恨みの的になっていまう
  • (慈悲の実践は必要)

心が汚れ る

  • 汚れた心で競争に挑まなくてはならない
  • 成功したところで、エゴの錯覚が強化される
  • 幸福を守らないとならないので、欲と執着が生まれてくる
  • 競争して生きる場合は、常に心の不安・悩み・落ち込みなどを経験する
  • 競争する生き方は、心の安らぎ・幸福・安心感を得られない。成功すればするほど悩む羽目・苦しむ羽目になる。成功しない と、悩む・苦しむ羽目になる。

幸福を楽しめない

  • 競争で忙しい
  • 競争心で生きるから、心の安らぎ・落ち着きがなくなる、不安に陥る
  • 世界を敵にまわしているので、落ち着いて幸福を楽しめない: どこにっても楽しくない
  • この世で楽を得ても、心が一生汚れていたので、死後、大敗者になる

勝者も敗者も苦しみに辿りつく

  • 敗者には、現実も苦しいのです
  • こころが汚れてしまう
  • 他人を恨んだり、嫉妬したり、自分を卑下したり、自分を憎んだりする羽目になる
  • 簡単に罪を犯せるようになる
  • 心が汚れたので、この世の苦しみの後、死後に大敗者になるのです
  • 世間の幸福論はこんなもの

依存症

  • 財産・家族などに幸福があると思う
  • これは「ものに依存して喜びを感じる」こと
  • 自分の幸福・喜び・楽しみなどが外のものが与えてることになる
  • 財産・名誉・権力・家族などの奴隷になって、こころの自由がなくなります
  • もの(道具)が変化しただけで、自分の幸福が苦しみに変わります

改良計画

〜俗世間の幸福への道に関わる危険・副作用を最小限に〜

必需品のリミット

  • 人に限りなくものが必要ではありません
  • 自分の心が満足を感じる・自分に管理できる範囲で希望するもののリミットをつけなくてはならないのです
  • 財産を人から奪い取るものではありません
  • 相手が与えるものです(ものすごく大事なことです)
  • その条件・状況を作るのが自分の仕事です

与えるとは

  • 与えられていないものを取ることは非道徳・罪です (五戒の二番目)
  • (余分の取ろうとする)
  • 相手が喜んで自分に(財産などを)与えるようにするのです
  • そうなると相手はパートナーであって、競争相手・ライバルではなくなるのです
  • 相手から何も見返りを期待しないで与えることは勝れた善行為になります
  • 善行為とは、真の幸福をもたらす原因・力なのです
  • 「徳(善行為)というのは幸福の同義語です」
  • 様々な原因で幸福になれない弱い人々に与えることは、より勝れている(見返りを求めない)
  • → 世界の不公平がなくなる・恨みっこはない
  • 自分が幸福のポテンシャルを持つだけでなく、世間を見方に変えることになるのです
  • 法則はgive&takeですが、世間はtakeだけで生活しようとする
    • 先にtakeだけを考える、すごく汚れている
    • 仕事はしたくない
  • ボロ儲けを期待する
  • 何かを与えること、投資することが避けられない、やむを得ない場合は、take&giveという順番にしています
  • それは法則違反なのでで、give&takeにしなくてはなりません

与えられても「自分のもの」にならない

  • 生まれてから、幸福になる道具を探し求めるのです
  • 幸福で生まれることは、あり得ません
  • 幸福の道具を持って生まれるわけではないので、与えられたもんであっても、最終的には「自分のもの」にはなりません
  • 幸福はレンタルです(執着しないこと!)
  • 夫・妻・子供もレンタルです
  • 身体さえもレンタルです
  • レンタルの決まりがあります。それを守って使用しなくてはいけない

逃げるものを追わず

  • 理性的な生き方
  • 若さ・体力・健康などから、財産・親族などの全ては自分から離れてい法則
  • 逃がさないということは、法則違反、非道徳にもなります
  • 強烈な欲、執着があることで、心は汚染してるのです
  • 好きなものは全て離れていくと理解・納得する

真の幸福

〜道具のコレクターを止めて、道具を上手に使う〜

なぜ幸福の道具が必要?

  • なぜ金が必要ですか、と問うてみる
  • 最終的な答えは「苦しみがなくなる・楽しくなる」です
  • ですから、幸福とは「心で感じる」ものなのです
  • 何かを得る前に、それで喜びを感じられるのか、と調べるのです

二種類の道具

  • 食事・服・住居・薬など、身体が壊れていくのを一時的に避ける道具
    • (寿命を伸ばしてる)
    • 欠かせない
  • 音楽・絵画など、心を喜ばせる道具(必ずしも無くてもよい)
  • どちらでも、度を超えては不幸になる
  • また、心が汚れないように注意して、その道具を使用するのです
  • 要するに、金持ちになる前に良い人間になることです。それが道具の使い方。
  • 先に使い方を学ぶ、それから、適当な道具を探す
    例: 歴史から何を学ぶか。(丸暗記の度合を測るのではなく)

心の汚れと幸福感

  • こころの汚れが不安・悩み・苦しみを感じさせます
  • 豊かであっても、こころが汚れていると、幸福を感じません
  • 本当に幸福になりたいと思うなら、物に依存する前にこころを清らかにすることを優先するのです
  • 人の本業はこころを清らかにすることです

見方を変えらえる

  • 執着で闇雲に財産を奪いまくるのではなく、見方を変えてみましょう
  • 豊かになって、人に優しい、人々を助ける人間になる、など
  • 結婚することで、我儘・奔放をやめてみる、他人をも心配する
  • 知識・権力などを得る度に謙虚になる
  • (完璧ではないが、危険が減ります)

限りのない幸福

〜自分も他人も幸福になる道〜

心の喜びと安穏

  • こころの気持ちは他人にも移るのです
  • 喜びを感じる、優しいこころで生活するなら、その波動は周りにも移るのです
  • 一切の生命が幸福でありますように、というモットーで生きる人は世界を味方に変えるのです
  • それで、皆の楽しみに、幸福になるのです

勘違いを直す

  • 財産などの道具 = 幸福だとすると、勝者・敗者も最後に不幸になる
  • こころの喜び = 幸福とすると、その幸福は貧富の区別なく、誰にも達することが出来る
  • 『我は他より偉い』と思う邪道を止めて、みんな平等

仏道

  • 物を得る度に、依存症が強くなる
  • 不安・不満・苦しみが増える
  • こころは一方的に汚れる道に入る
  • 物・道具に依存することが少なくなる程、こころが自由になる・清らかになる・幸福感が増す
  • ですから、物に依存しない幸福感・充実感を経験できるようにこころを強化すること・浄化することに励むのです
  • 全てを捨てて釈尊が解脱によって究極の幸福に達したのです
  • 一切のものごとに執着しない・依存しないという境地に達することが解脱なのです
  • 一人が解脱すると、一人が地獄に陥いるということはあり得ない
  • 一人でも解脱に達すると、周りも幸福になるのです

解脱の幸福

  • 仏道は「得る道ではなく、捨てる道」
  • 「得る」とは、誰かから取ることです
  • 捨てることで、他人が不幸になりませんし、皆に捨てることが出来る
  • 捨てるという意味は「執着を無くすること」
  • こころの汚れを落とすことです
  • 富豪にも、貧困の人にも、出家にも、執着を捨てられます
  • 執着を捨てるとは、世間と戦うことでも、財産を壊すこと、自然を破壊することでもありません
  • 仏教は、全ての生命に真の幸福に達する道を説く
  • 敗者がいない真の勝利への道です
  • 仏教が語る幸福へ至る道は、実践しやすく、論理的、すぐ結果が得られる
  • 究極的なこころの安らぎ・解脱が得られる一本の道
  • この世の幸福・死後の幸福・究極の幸福(解脱)を一貫して並べている教えです

メモを元にしているので、不正確な部分があります。(必ずしも長老がお示しになったパワーポイント の内容通りではありません。)


初出: Wed March 24 2010 22:35 (+0900)