冒険者は「パターン」から脱出する 〜スマナサーラ長老法話メモ(2009年01月24日 — オリンピック記念青少年総合センター)
〜元気よく生きるには「リフレッシュ」が必須です〜
(イントロダクション)
パターンの善し悪し
- 仕事などのパターンさえ身につければ、問題なく、失敗なく仕事は出来る
- 落ち着いていられる
- しかし、来まっている型にはめられていると、ロボット化現象が起きて人間の性質は薄くな る
- また、突然変化が起きたら、身体も心も固まって止まる — 手も足も出なくなる
- 逆にパターンを知らない人は何も出来ないか、何をやっても失敗する
- (仏教では『失敗するなかれ』ではなく「失敗を繰り返すなかれ」)
- 他人に管理できな・自分にも自分の管理が出来ない
- 勝手な行動で社会も個人生活も成り立たない
- パターンとはあっても無くても困る現象です
世界が認める能力
- 「能力」とはパターンを知ることです
- 「能力」とはパターンに慣れることです
- スポーツ選手はパターンを理解し、次にそれに身体を慣れさせるのです
- 「学ぶ」とは様々なパターンを理解し、覚えておくことです
- 学力テストで習ったパターンをどれほど使用できるのか調べるのです
- 「仕事ができる」とは、その分野のパターンに慣れて、それを使用・応用できること
- 音楽も音のパターンです
- 心地良いパターンを並べることが創作です
- 画家もパターンを学んで練習するのです
- 家事であってもパターンで決まりです
- パターンを理解できない人に「頭が悪い」と言うのです
- それは本人の自覚でもあります
- パターンを頭で知っていても使えない・慣れない人は「能力がない」という枠に入ります
- 普段、人が考えないパターンの組み合わせをする人は「天才」という枠に入ります
現象はパターンで出来てい る
〜パターンを無視できない・パターンを発見するしかない〜
物質世界のパターン
- 科学とは物質のパターンを発見する分野
- 考古学とは古い品物を、現代発見しているパターンで説明すること
- 発明とは、発見したパターンに合わせて新しいものを作ること
- 医学は身体のパターンを発見すること
- 論理学とは、物質のパターンから思考パターンを作る
- 現象は無限にある→ 発見するものも無限にある
- パターンを正しく完全に発見しないで解説する
- 一部が分かっただけで、舞い上がって、それを堂々と発表する
- 後の人は新たなパターンを見付けて、前のパターンを訂正する
- それで知識世界が増えていく
- 「因果法則」はパターンに対する仏教用語です
物質の因果法則
- 物質の因果法則については、世間は驚くほどの成果を出している
- これを理解しましょう
- 一人の人間が、人類が発見してきた全ての知識・科学・芸術を学ぶ・理解するのは不可能
- 能力があると仮定しても、寿命が短かいので時間が足りません
- また、一つの分野で天才(的)能力を発揮しても、その分野で「全て知りました、これ以上知るべ きことは存在しない」という終了宣言はない
- 知識世界の問題: いくら学んでも完成しない→ 未熟のままです
- 物質のパターンを学ぶことは世界が行っている知識の世界・科学の世界・技術の世界・ 芸術の世界
- ずっと未熟なのに一生を費している
- 無限に未熟
- ですから、俗世間の「パターン」を学ぶ挑戦は、終りのない、満足に至らない、精神的に疲れ 果てる作業です
- しかし、これは人間の職業なので、「やめること」も出来ない
- ブッダも物質のパターンについて語られている
- idappaccayatā — conditionality
- 現象は「これによってこれが生じる」という性質であります (因縁性)
- tathatā — objectivity
- これは観察できる、発見できる、とても具体的な現象の性質です (具体性)
- avitathatā — reality
- この法則は事実であり、違ったことにはならない性質 (真理性)
- anaññathatā — invariability
- 可能性・確率のことではない、確実性のこと
観察の違い
- 世間では一切の現象に普遍的に確実に不変的にある因縁性を発見する気は無さそう
- 例) 「リンゴの糖度を上げて、色を美しく、形を整えて、また長持ちするように育てる のに必要な因縁は何かと観察する」
- 世間は因果法則を発見しない
- 一部の現象の研究であって、存在の研究ではない
- 具体的な現象の一つを知ることで十分だと思っている
- これは終りのない調べ方
- リンゴを丸く、四角、小さい、一口大、平らに…などなどの形も考えることは出来る
- 「カレー味のリンゴ」だって考えることが出来る
- どこまでやるのか、ということになる
- 仏教は全体の一部ではなく、全体の因縁を調べる
- また、何かを新たに作るためではなく、一切の現象が現われる絶対的な、最終的な因縁パター ンを発見する
- ブッダは人の苦しみを無くすために因果法則を発見した
- だから仏教は道具をつくることはない
- この(仏教の)観察の仕方には「終り、知り尽くす、終了」ということはある
- → 落ち着くことが出来る
信仰と迷信の仕事
- 現代人・科学研究者は「こころ・知識・知る・考える・生きる機能」を信仰の世界に委託し ている
- 理性人だと空威張りしつつ心については聖書の類の話に従う
- 現代知識では、いまだに洗練された「心の科学」はありません
仏教は「心の科学」
- 心を研究する方法論は科学者にはないが、ブッダにはあったのです
- 「一切を知り尽くす」という立場で観察した結果、「心も知り尽くした」のです
- それについて、現代人が新しいものを組立てるのと同様に、(御釈迦様も)「完全たる境地・因 縁を乗り越えた境地」を提案して、また具体的に発明してあげるのです
- この場合も「終り・終了」という事は成り立つ
- 問題は「解脱」を何かの工場で大量生産できないこと
- 商品として得ることも出来ない
- 個が個の心を完成することが唯一の方法です(一人一人の仕事です)
- しかし、挑戦者には多数の成功者のことを実例として出すのです
- サンガという概念は成功者のグループ
- たくさんの成功者がいるということは、私個人にも実践出来る
「心の科学」と宗教
- 宗教には『救い』と『信仰』という概念があります
- 『救って頂く』のです、無条件で信仰するのです
- これは「心が不完全で固定されていて、絶対変わらない・変えない」という前提の上に成り 立つ
- そうでないと『信仰』が成り立たない
- 自分一人でも天国に行けるのならば、神を信仰する必要はないはず
- 心の科学と正反対の道です
- 仏教は宗教の道とは正反対の道です
- 「科学」の方法論を用いていますが、科学ともすごく違う
私達の日々の生活
〜パターンから抜けて自由になりたいのですが〜
一切はパターンです
- 物質についても、心についても、仏教は因果法則を語るのです
- 因縁により現れないもの、起こらないものはありえません
- この絶対的な状況をdhammaṭṭhitatā, dhammaniyāmatāと言う のです
- 法則の確実性
- 心を含む一切の現象に対する"変えることの出来ない法則"という意味です
- 法則に対して、仏教は「因果法則」と言う
不満・恐い・逃げたい
- 社会の限りないパターンに不安
- 慣れる自信が無くなる
- 学校も仕事も家族生活もいやになってしまう
- 逃げて自由になりたい、と思う
- 社会の中で、どうにもならない・役にも立たない存在になるのです
- 『学校は嫌だ』『仕事は嫌だ』
- 自由挑戦者は社会にとっては危険な存在になる
- 学校でもロクに学ばない・職につかない・結婚もしない
- 本人は自由に挑戦している
逃げたい
- 逃げたがる人は、社会を批判・非難する
- 壊したいと思う・またその努力もする
- 社会システムに従わない
- これは自分に能力がないこと以外何でもない
- 自分が適応できないことは社会のせいにする
逃げられない
- しかし一切はシステムです、因縁です、パターンです
- 逃げられない
- 自由とは成り立たないもの
- 『波が水から自由になりたい』思うようなものです
- 波は水からは自由にはなりません
必要なのは「能力」
- 限りのないパターンの中で生きている自分という小さなパターンにはめておかねばならない
- 自分というピースは、世界というジグソーパズルの中ではめる場所があるのです
- ないはずはありません
- 自分は全体的なパターンの一部です
- 一人一人の人間が、人間というジグソーパズルの一部
- 自分に出来る範囲のパターンを学ぶか
- 努力して能力を向上させるか、です
- 要するに、出来る範囲で生きるか、より良い生き方に挑戦するか、です
- 注意: 全てを学ぶことはできません
- 何かを学んだとしても、それは完全な能力にはならない
- 人はどこかで手を打つ
逃げない挑戦者
- 学問にも、仕事にも挑戦する
- 家族、人間関係も上手く行くように挑戦する
- そのような人々は、人生に関わる様々なパターンを発見する、他人から学ぶ
- それから、そのパターンにあてはめる、従って安全に生きるという気持ちになる
型で固まる世界
- 我々には、定まった、固定したパターンが無数があります
- この世には、何でも前もって決まっているようです
- 経済・科学・政治・日常生活・人間との関係などにも、決まった固定したパターンがあるよ うです
- パターンに従う場合でも、失敗することもある
大きな間違い
- 現象があるパターンで固定しているというのは大きな間違いです
- 世間が知る因果法則ではそのようになります
- 社会のあるべき形、経済のあるべき形、家族のあるべき形
- 現象を固定して安心しようとするのは因果法則ではありません
- 物質・心の因縁に従った正しい生き方にもなりません
- 一切の現象に関する絶対的な、変えることが不可能な因縁性を発見しなくてはならない
- 破れないパターンを無意味に変えようとして失敗するか、暗く光もなく生きるか
止まって壊れる
- 現代のように経済不況に陥ったらどうすることも出来なくなる
- 期待していたものと違うことが起きたら何もできない
- マニュアルがないと生きていけない
- 最初はいくらかあった能力は、慣れてしまったら能力はなくなっていく
- そこで『パターンを守る』
- 止まって壊れる人生です
無常
- 因果法則を一言でまとめると「無常」という真理です
- パターンのみで出来ているパターン以外になにもない
- 「人生は基本的に無常というパターンである」と知って生活することは「中道」であり、 「正道」です
- 世間は「無常」を思考の計画の基準にしていないので問題を起こす
自由とは
- 「自由」より「柔軟性」だと理解した方が無難です
- 全てはパターン、因果法則です
- 真の自由は因縁性を乗り越えると成り立つものです
- 従て解脱以外、自由は存在しない
- 「自由」という言葉は仏教だけが語っている(実質的に)
- しかし解脱にも達する方法がある
- パターンにはめられている人がパターンから脱出するためのパターンがあるのです (!)
参考になるポイント
- 人生をパターンにはめることで本人は安心する
- 何を考えなくても、困らなくても物事は進む
- 果たして、それで発展・成長などが期待できるでしょうか
- 物事が目紛しく変化している世界では、生きていられるのでしょうか
- 我々の多様性はどうなるのでしょう
- ひらめき、新鮮なアイディアなどはどうなることでしょう
- 特に無常に適合することは出来なくなる
- 無常に逆らうと、それで人は壊れていく
- パターンは、それでも、断言的に否定することも無視することも出来ない、悪いと言えるこ とでもない
- 慣れていないものを習うために復習する
- 瞑想実践も善行為も繰り返してやることで慣れる、何回も繰り返して慣れて下さい
- 繰り返しと行うことは脳の開発でもあります
- パターン・因縁だからこそ、「実践する・習う・成長する・発展する」などは成り立つ
- しかし、型にはめるのは成長の棺に釘を打つこと
- 仏教徒は、成長と自由を目指して、真理であるパターン・因縁の法則を巧みに利用する
メモを元にしているので、不正確な部分があります。(必ずしも長老がお示しになったパワーポイント の内容通りではありません。)
初出: Sat January 31 2009 18:54 (+0900)