hohi’s blog

初期仏教の勉強・実践とパーリ語の学習

仏教徒の日記(ブッダの実践心理学第三巻から)

p. 175-176から。

ですから人々は習慣として、何か善いことをしたら、そのことをノートに書いておいたりするのです。 少なくとも昔はそうでした。自分が何か善いことをしたら、自分の日記としてそれをメモしておく。 昔の仏教徒の日記というのは、くだらないことをいろいろ書くのではなくて、何か善行為をしたら、それを書いておくものでした。そうすると自分の日記が「読み返せば読み返すほど楽しくて仕方がない」という素晴らしいものになるのです。自分の単なる記録ではないのです。

自分の記録は、単なる自我意識の羅列で、自慢したくなることや悔やしいことばかりで、記録すること自体もあんまり明るい行動ではないのです。「私という人間がここにいましたよ」とみんなに言いたがっているだけです。そういうことではなくて、「善いことを思い出してください。善いことをしたら、それを書いておいてでも、忘れないでください」と言うのです。

「思い出すたびに、また、その善行為の徳を積みますよ。思い出せば思い出すほど、自分が過去に行なった善行為の徳がどんどん増えていきます」と説法するのです。そうすると、信仰深い人々はそれを信仰の立場から受け取って、善いことをしたら、それを何度も何度も思い出してこころで念じて、さらに徳を増やしてもらおうとがんばっています。言葉通り簡単に理解して、簡単に実践し ています。これがまた、本当に正しいことなのです。