「チェック魔の憂鬱」〜かやの木会館でのスマナサーラ長老月例法話メモ(2007年3月24日)
世間の「エラー管理」
- 世間の「エラーをなくす」、「失敗をなくす」という衝動は「完璧主義」「吾が輩は完璧」
- 失敗に落ち込むのはなぜ? 自分のこころは失敗を認められないから
「人は不完全」と言ったのは誰?
- "完全であるはずの人間は、自分の過ちで不完全になった"…? (「完全な」人間が、間違いを犯すのか??)
「人間は不完全」とは仏教では言わない 仏教では"全てが不完全です・無常です"
- それなら、生きる上では「完全」はあり得ない
- 「完全」を目指す努力は矛盾→ 問題を引き起こす
- "「完全」 best はあり得ない"と知るひとは 「ベター」betterを目指す・挑戦する (→ これが理性的な 態度)
失敗の原因
- 行為とは: 自分と他(人)との関わり
- 他(人): 「生き物」と「もの」
- "他"の先は読めない→関わりは上手くいったり、期待はずれだったりする
- 自分のことも先は読めない→
- 環境が良くても失敗する
- 失敗するケースの方が確率が高い・あたりまえ→成功はまぐれ
- 無知な世界はこれを認めない→更に苦労する
- 失敗を認めない人は落ち込むか悩むしかない
仏教では: 失敗はあたりまえ、成功が起きたらとても明るい気分になる
トラブル・問題・障碍を乗り越えることが人生
→ 精神的に安定・着々と生きることが出来る
トラブルから逃げる・イヤ→ 人間のレベルより下の生き方
矛盾のない仏教の道
「損・得」で判断→ 間違い
- 「損・得」は「経済」
- 「損得基準」の行為はいつでも「損」になる
- 命を粗末にすることになる (行為をする「人間」を忘れている)
例)- 「国があって、国民が生活できる」?
- 「会社があってこそ、社員が働くことができる」?
- 「〇〇主義を貫けるならば、命はなくても良い」?
「幸福に生きる」という目的を基準にするならば、社会の失敗の問題は解決する
→ 今とまったく違う生き方が現れる
"失敗をなくす"は「倫理」
- 間違い・失敗は人間・生命には必ず起こること
- 生きる意義: 苦を避ける、幸福を目指すこと
- もし幸福を目指さないなら: 何もしなくても良い(引きこもって、じっとしてればよい)
→生きる意味もない、努力する必要もない - "失敗・エラーの管理は幸福な生き方を目的にする"
- 生きること→ 幸福を目指す → 失敗をなくすこと
(道徳的・倫理的) (道徳・倫理) - 儲け・利益だけを目的にエラー管理をするなら「非道徳」
→ 危機管理が危機を呼び寄せる
→ 個人が怯える
→ 苦しみが増す生き方
(世俗的な利益だけを目的にしているから) - 「エラーをなくす」は「道徳」→幸福な結果
- 意義が生じる
- エラーチェックにもやり甲斐がある
失敗しないとは慈しみ
不完全な人間が間違いを少なくするのは「こころを清らかにする善行為」
欲と怒りで目が眩む
「あなたは悪い」と他人に指差す世界は危険極まりない
社会か個人か
- 社会: 国・学校・会社 (団体・集団)
→ 概念であって、実体は個人の集り - 個人こじんが自分を戒めるしかない
個人論
わがままは通らない
- 社会では、一人の我儘が全体に悪影響を与える
- 「私は嫌だから止める」は通用しない
- 自分・他人の幸福のために生きるしか撰択はない
- 悪行為そのものが法則違反
- 一人で怠けることさえも法則違反
- 一人ひとりが責任を果たし、幸福を目指す生き方が唯一の道
- 一人ひとりが自分の失敗を極力減らさなければならない
- "これが法則である"とブッダが無知が人々に語りつづけていること
- 神の定めではない
- 仏教的なエラーチェックをして生きることは自然な生き方
わがままが通る場合もある
- 「自分を向上させたい、未熟な人格は嫌だ」も"わがまま"
- 負けず嫌いで「失敗したくない」も"わがまま"
こういう"わがまま"は通る
放っておいても、人格が向上する
感情と思考を持つ生命は失敗する
エラーの原因
- 主観的な思考・客観性と理性を失う
- 感情
- 波がある
気付きでエラーチェック
- エラーチェックは慈しみの行為・善行為
- 全てが不完全→エラーチェックしないと成功はない
- 秒単位で行う
- 「今の一秒」で行う
- 「今の一秒」に気付く →
- 集中力
- 充実感・幸福感
- 理解能力がつく
- こころの汚れ、感情が減る
- 人格向上
- 成功しつづける生き方
- 解脱をも得られる
仏教的なエラーチェックに「損」はない
- エラーチェックは自分のこころのチェック
- 他人との戦いではない
- 仕事の邪魔にはならない
チェックポイント
- 慈しみがあるか・否か
- 妄想で混乱していないか・否か
- 怒り・欲・無知・見栄が今の瞬間にないか・否か
- わがままか・否か
- 怠け・手抜き・なげやりになっていないか・否か
- 今の瞬間に仕事を楽しく感じているか・否か
- 身体の調子が良いか・悪いか
- こころの(波)働きはスムースか・否か
質問コーナーで
実際の仕事のうえで
- (普通の仏教的には) 自分の失敗・過ちをなくそうとだけ努力する
- 他人に言うべきときは大胆に言う(聞かせしめる言い方が大事。聞いてもらえないときもある)
- 個人ではどうにもならないこともある
- 地道に行動するのが、しっかりした生き方
- 「他の命を守るためにエラーチェックしているのだ」と考えるなら、エラーチェックも楽しく なる
こころの調子はどう見るか・怠けとの区別は?
- 難しく考えないこと
- 例えば「外を見てみる」→どうか?
- こころの波は簡単に変えられることが多い (出来ないときもある)
- 例) 「足が折れている」→
そんな場合ではない→ 他に・自分に何かしてあげなければならない → 動くことができる
これこそが慈しみ
"慈しみこそが奇跡"
ノートにメモしたものを元にしています。一部、不正確なところもあると思います。